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徳島家庭裁判所 昭和51年(家)1305号 審判 1978年7月17日

申立人 山本美津子

相手方 川本武治

主文

相手方は申立人に対し離婚に伴う財産分与として即時金三〇〇万円を申立人宅に持参又は送金して支払え。

理由

本件については、財産分与の対象となるべき別紙目録記載の不動産について昭和五二年一〇月二六日付で処分禁止の仮の処分がなされているところ、当裁判所の事実調べの結果によれば、相手方はこの処分禁止命令に違反し、最近前記不動産を不動産仲介業者に依頼して売却しようとしていることが認められ、かつ同物件は本件財産分与の対象となる唯一のものともいうべきもので、相手方がこれを売却処分してしまうと、本件審判の確定により相手方に財産分与金の支払義務が認められても、申立人はその執行が不能となり、回復することのできぬ損害をこうむることが認められるので、家事審判規則五六条の二の規定を準用して、近くなされる本審判に先立ち、この際相手方に対し、とりあえず主文掲記の如き金員を申立人に仮払することを命じる。なおこの審判前の処分は家事審判法一五条により執行力ある債務名義と同一の効力を有し、申立人は民事訴訟法の規定に従い強制執行差押手続をすることができる旨附言する。

よつて注文のとおり審判する。

(家事審判官 藤田清臣)

別紙目録<省略>

〔参考〕 終局審判(徳島家昭五一(家)一三〇五号昭五三・九・八審判)

主文

相手方は申立人に対し離婚に伴う財産分与として金七〇〇万円およびこれに対するこの審判確定の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

本件手続費用中鑑定人中川太郎に支給した鑑定費用一〇万円は相手方の負担とし、その余は各当事者の負担とする。

理由

第一本件申立の要旨

「相手方は申立人に対し離婚に伴う財産分与として金二、五〇〇万円を支払え。」との審判を求める。

第二当裁判所の認定した事実

当裁判所の事実調べ、家庭裁判所調査官の調査ならびに当事者、参考人審問の結果を総合すると以下の事実が認められる。

1 離婚に至る経過

(1) 申立人と相手方は恋愛して昭和三三年一〇月頃から徳島市内のアパートで同棲し、申立人はホステス、相手方はバーテンをしていた。そして長男が出生する直前の昭和三八年六月一四日婚姻届をし、同年八月一三日長男洋治が出生した。その後双方は徳島市○○町×丁目××-×の申立人の実家二階に移り、申立人の両親に子供を預けて、引続きバーテン、ホステスとして働いた。

(2) 昭和四一年一二月、当時○○○○株式会社(代表取締役木下隆)が徳島市○○町×丁目××番地に○○ビル(貸店舗)を新築したので、相手方は同ビルの二階を賃借して、○○喫茶○○○○を開店し、申立人も同店に勤務するようになつた。相手方は商才に長け、○○○○は開店後非常に客に受けて収益をあげ、○○駅前および○○市(但し名義貸)にも店を出し、申立人は○○○○○○○店の営業をまかされて稼動した。次いで昭和四三年一一月相手方は徳島市○○町××番×宅地一八、四七平方メートル、同所××番×宅地一一八、五八平方メートルおよび地上建物を購入し、店舗を改装して同年一二月○○喫茶○○○○○○○店を開店した。申立人は引続き○○○○○○○店の営業を担当し、相手方は主に○○○○○○○○店と○○○店の営業を担当し、また全店の経理を統括していた。○○○○三店の経営は昭和四四年頃まで非常に順調で、最盛時には三〇人を越える従業員を雇い、経営規模も徳島最大級で、生活も安定し(もつとも昭和四五年一〇月まで申立人の両親宅に引続き同居していたので家賃、食費等は不要であつた)、夫婦仲も概ね円満であつた。相手方は昭和四五年二月有限会社○○○○を設立し、○○喫茶三店の経営を会社組織にしたが、これは専ら税金対策で、実体は従前の個人営業の延長であつた。

(3) しかし相手方は従前より飲酒、麻雀、賭事を好み、遊興癖の傾向があつたところ、昭和四四年頃より収入が多いことで、賭博に熱中し、店の経営を怠り、毎日の如く飲酒、ゴルフ等の遊興に耽つて金を浪費するようになり、また女性関係も派手で、病院事務員の女性を愛人として囲つたこともあつて、夫婦仲は次第に円満を欠き、○○○○の経営も悪化し、相手方は喧嘩の果てに申立人に度々暴力を振るう状態が続いた。このため双方は互に愛情を失ない、何度か離婚話に発展した結果、申立人は昭和四七年四月二七日当庁に相手方に対し離婚調停の申立をしたが、相手方が当庁の呼出に応じず、調停はみるべき進展がなかつた。ところが相手方は昭和四八年九月四日無免許、飲酒、信号無視運転のうえ交通事故(ひき逃げ)を起して逮捕され、昭和四九年六月一一日懲役八月の実刑判決が確定し、松山刑務所に服役した(この間申立人は昭和四八年一一月六日離婚調停を取り下げた)。このような経過で、申立人は離婚調停の申立時には相手方との円満調整も期待しないではなかつたが、調停期間中も相手方の生活態度に改善が見られぬことにひどく失望して、はつきり離婚の決意を固めていたところ、相手方が服役中の昭和四九年夏頃、○○○○にアルバイトとして勤務していた○○市役所吏員谷靖彦と情交関係を持つに至り、相手方の出所を待つて結婚生活に愈々終止符を打ち、谷と再婚するべく考えていた。

(4) 相手方は昭和五〇年一月六日仮出所し、間もなく申立人と谷との不貞関係を知り、同年一月一六日谷を呼びつけて難詰するとともに、申立人に対しては子供もいるから再度やり直そうと求めたが、すでに申立人の離婚の意思は固く、喧嘩別れとなり、申立人は同日以降相手方と別居して近くの申立人の実家に帰り、その後申立人の親族と相手方が話し合つた結果、双方は同年五月二一日協議離婚届を提出し、長男洋治の親権者を母である申立人と定めた。

2 婚姻期間中の財産の形成状況

(1) ○○ビルの貸店舗を貸借して○○○○○○○店を相手方名義で開店するに際し、敷金三一〇万円と什器、備品、店舗内装費用等に約三〇〇万円の開店準備資金を要した。しかし当時申立人、相手方共に自己資金をほとんど有せず、申立人の実父山木忠が店舗賃借に際して保証人になるとともに、相手方が○○信用金庫○○支店から借り受けて資金を用意した。借金は夫婦共稼ぎで経営好調であつた店の売上収益で支払われ、同様にその収益を基礎として○○○○○○○○店を開店した。

(2) 次いで相手方が買受けた徳島市○○町××番×、××番×の土地建物(昭和四三年一一月二五日相手方名義に所有権移転登記)の代金は二、一一〇〇万円であつたが、その資金捻出のため、前記山木忠がその所有不動産について昭和四三年一一月○○相互銀行○○支店に根抵当権を設定し、相手方が二、〇〇〇万円の融資を受けて売買代金を支払つた。○○○○○○○店の店舗改装費等の開店資金は○○○○○○○店、○○店の売上収益でまかなつた。ところがその後相手方が賭博に熱中するなどして○○○○の経営状態が悪化し、相手方が○○相互銀行○○支店に対する貸付利息の支払を遅延したため、山木忠の骨折りで、○○市農業協同組合○○○支部から申立人が債務者となつて昭和四五年七月六日二、〇〇〇万円の融資を受け、相手方名義の徳島市○○町の土地建物に根抵当権を設定して、この融資により○○相互銀行○○支店の二、〇〇〇万円の債務を完済することができた。

(3) 相手方は店舗の新築、改装に非常な熱意をもち、その後昭和四七年には○○○○○○○店の木造店舗をこわして、同年一〇月徳島市○○町××番地×、××番地×、家屋番号××番×、鉄骨コンクリートブロツク造陸屋根二階建床面積一階一〇七、三五平方メートル、二階一〇九、〇五平方メートルを新築し、同月一九日相手方名義に所有権保存登記をした。新築資金は相手方が同年一〇月三〇日○○相互銀行から証書貸付を受けた五〇〇万円と当時経営不調であつた○○○○○○店の営業権を譲渡した金で準備した。また相手方は○○○○○○○店についても前後三回位改装したが、昭和四八年三月には○○相互銀行より二〇〇万円の手形貸付を受け、○○○○の売上収益による自己資金を加えて○○○店を改装した。

(4) しかし○○○○はこのような相次ぐ無理な改装等で運転資金に不足をきたした。このため相手方は昭和四八年七月当時一、九九五万円の手形債務があつた○○市農業協同組合に申立人名義で二、〇〇〇万円の追加融資を申し込み、同年八月三日二、〇〇〇万円の手形貸付を受けたが(○○相互銀行に対する(3)の債務はこの融資金で返済された)、その後昭和五〇年五月双方が離婚したことに伴い、相手方は同年六月同農協との協議により当時の手形貸付残額三、六一五万円について債務者を相手方名義に変更した。

3 別居(離婚後)の双方の生活状況および財産の変動関係

(1) 相手方の刑務所在監中、申立人は○○○○○○○店、○○○店の売上を管理し、この頃には○○○店の客足は相当に落ちていたが、相手方との別居以来店には出なくなつた。そして離婚後申立人は実家で長男洋治と同居し、昭和五〇年八月から昭和五一年九月まで谷に資金を出してもらつて徳島市○○町で○○喫茶○○○を経営していたが、営業不振のため他に譲り、その資金で同年一二月同市○○通りでホルモン店○○を開店し、現在も同店を経営中で、商売は順調である。申立人は○○の開店に伴い昭和五二年二月実家から徳島市○○○町のアパートに転居し(長男洋治は転校を嫌い実家に留つた)、さらに同年七月同市○○○のアパートに転居して、現在まで谷と同棲している。

(2) 相手方は離婚後昭和五〇年七月頃から徳島市○○○番町のマンシヨンに移り、ここに従前より親密であつた竹中節子(昭和一八年六月一一日生)と同棲し、引続き○○○○○○○店、○○○店を経営していたが、その後も両店を改装し、昭和五一年には○○○店の屋号を○○喫茶○○○(一階)、○○○(二階)と変更した。しかし○○○○○○○店は従前より実績が悪く、また負債の一部を整理する必要に迫まられて、その営業権を他に譲渡することにし、昭和五一年一一月二三日限りで同店を閉鎖し、翌昭和五二年二月三日藤田幸治に対し○○○○○○○店の営業権、什器備品一切を九九〇万円で譲渡し、店舗の賃貸借契約を解除した。そして昭和五二年一月二一日には徳島保健所に対して○○○○○○○店の廃業届を提出し、同年一〇月二九日付で営業名義人を竹中節子に変更し、スナツク○○○(一階)、○○○(二階)として営業許可を受けたが、これは専ら税金対策で、実質上の経営者は相手方である。その後同年九月二二日徳島市○○町○○×××番×の土地建物を代金二、四〇〇万円で取得したが、申立人の本件申立に対する対策上竹中節子名義で所有権移転登記をなし、同年九月以降ここに竹中節子、長男洋治と同居中である。

(3) 双方間の長男洋治は現在徳島市○○○中学校三年に在学中で、昭和五二年二月母である申立人と別居後同年四月通学に便利な徳島市○○○番町の父(相手方)の許に移り、その後上記のとおり竹中節子とも同居中で、昭和五三年四月には学校関係における保護者も従前の申立人から相手方に変更され、精神的、家庭環境的には問題点が多いが、経済的には恵まれ、相手方おいて養育監護している。

第三当裁判所の判断

以上認定の事実ならびに事実調べの結果にもとづく申立人の財産分与請求権の有無、程度に対する当裁判所の判断は次のとおりである。

1 相手方は申立人が離婚の際財産分与請求権を放棄したと主張する。

なるほど離婚に至る前の夫婦喧嘩の際にも相手方は申立人に対し常に離婚しても何もやらぬと言い、昭和五〇年一月一六日の離婚話中にも、離婚に消極的であつた相手方は申立人に対し離婚をあくまで求めるのであれば財産は何もやらぬと強弁し、申立人は当時相手方と離婚したい一心で何もいらんと答えたことが認められる。しかし、これらの台詞は離婚か否かの口論の中でなされた売言葉に買言葉の類であつて、双方が離婚に合意したうえで、申立人が離婚に伴う財産分与について自己に請求権がないことを納得し、相手方に対し将来法的手続をとらないことを約束した性質のもの、すなわち財産分与請求権の放棄とは認められない。

2 次に相手方は離婚原因が申立人の不貞行為にあるから、申立人の財産分与請求は認められないと主張する。

しかし申立人との婚姻期間中相手方にも離婚原因となる放しな生活態度や不貞行為が認められたことは前認定のとおりであり、相手方の主張はいわば目くそ鼻くそを笑うの類に等しい。また妻に離婚原因となる有責事由が存したからといつて当然に離婚した夫に対する財産分与請求が認められぬものではない。

3 すなわち財産分与の制度は夫婦が婚姻中に相手の協力を得て取得維持してきた実質上の共同財産とみるべきものを離婚に際して清算し、かつ離婚後における一方当事者の生計の維持を図るため財産分与によりその扶養をなすことを目的とするものである。もとより配偶者に不貞行為のあつたことは財産分与額の決定に際し斟酌される。申立人の場合離婚後も収入を得られ、安定した生活を維持できているから、離婚後の扶養としての財産分与を考慮する必要はない。そして本件における夫婦財産の推移は前記のとおりで、協議離婚後現在までの間に相手方の処分によりその名義財産が増減しているが、このような場合夫婦財産の清算の趣旨における財産分与については協議離婚時を基準として、夫婦共同財産の範囲を確定し、その額を算定するのが公平である。

4 昭和五〇年五月二一日の離婚当時における相手方名義の財産の主なものは次のとおりである。

(1) 積極財産

(イ)徳島市○○町××番×、××番×宅地および地上二階建店舗

(ロ)徳島市○○町×丁目××番地××ビル二階○○喫茶○○○○○○○店の営業権、什器備品九九〇万円ならびに賃貸人○○○○株式会社に対する敷金三一〇万円の返環請求権

(2) 消極財産

(イ)○○市農業協同組合に対する手形貸付金債務三、六一五万円

(ロ)○○酒店の買掛金約五〇〇万円(推定)

(ハ)相手方および有限会社○○○○の滞納国税、県市民税(法人税、料理飲食等消費税、固定資産税等)約四六七万円

(イ)の債務者名義は離婚までは申立人であつたが、離婚と同時に相手方に変更されたので、実質的には相手方名義の債務と評価できる。また前記のとおり有限会社○○○○は相手方の個人経営の色彩が濃厚であつて、財産分与請求を判断するについては相手方個人の営業と同視するのが相当である。従つて有限会社○○○○の負債は夫婦財産の清算に際し相手方名義の債務として評価すべきである。

5 前記積極財産の形成についてはもとより相手方の商才、蓄財手腕とその労によるところが多い。しかし申立人も相手方と結婚以来、共稼ぎを続け、昭和四一年一二月から昭和五〇年一月まで熱心に○○○○○○○店の営業を担当して、○○○○の経営を支えた。また申立人、相手方夫婦は昭和三八年の婚姻以来昭和四五年まで申立人の父山木忠方に同居し、その間日常の生活援助を受け、山木忠は資力に乏しく信用産も低かつた相手方のために、○○○○○○○の店舗賃借の際には保証人となり、○○○○○○○店の購入に際しては自己の不動産を担保に提供して銀行からの買受資金の融資を実現し、相手方がこの借入金の返済を遅滞すると、自己が影響力を有する農業協同組合と交渉して、相手方の債務の肩代りをさせるなどその経済力援助は並々ならぬものであつた。このため相手方は前記財産を取得でき、○○○○の経営を維持できたものであり、山木忠の協力もまた間接的には申立人の協力と同一に評価できる。そうすると前記積極財産は申立人の協力を得て取得維持できたもので、申立人は相手方の財産蓄積に相当程度寄与していると見ることができるから、上記財産は夫婦共同財産であると認定できる。従つて相手方はこれを申立人のために清算しなければならない。

6 鑑定人中川太郎の鑑定結果によると、○○○○○○○店の離婚時の評価は八、一〇〇万円と算定される。○○○○○○○店の営業権および什器備品一切は前記譲渡価格九九〇万円をもつて離婚時の価格と認めるほかなく、また木下隆審問の結果によると○○○○○○○店の敷金返還請求権三一〇万円については賃貸借契約解除に伴う返還時において建物損料費相当分二〇〇万円が控除されたことが認められるので、離婚時の評価も一一〇万円と算定するのが相当である。そうすると、極めて大雑把な数字であるが、申立人と相手方の共同財産は離婚時において約四、六一八万円(積極財産価格合計約九、二〇〇万円から消極財産価格約四、五八二万円を控除した額)相当であると推認できる。そして前記認定の離婚に至る経過、申立人の財産の取得維持に関する寄与の程度、期間等本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、相手方から申立人に対する財産分与としては即時金七〇〇万円とこの審判確定の日の翌日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を付加して支払わせるのが相当である。  7 よつて、手続費用の負担につき家事審判法七条、非訟事件手続法二七条を適用して主文のとおり審判する。

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